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今日はカレー屋で通しの仕事。

店長と仲の良い某写真家の方が取材で昨日来ていたらしく、シフトが昨日だったら会えていたのにな、と思っていたらなんとプリンを食べに今日もお店に来るとのこと。前にも何度か来てくれたことはあるのだが、いつも話しかけられず終いだったので今日こそはと意気込む。ランチ閉店間際に来店、話しかけるタイミングを見計らうも洗い物などもあり後回し後回しに。まかないのカレーを食べながら店長との会話を黙って遠くから聞く。なかなか会話が途切れない。そしてそのままの流れで帰っていってしまい、結局今回も話しかけられず。また話しかけられなかった、と店長に言うと「昨日○○ちゃんはサインもらってたよ」と。

こんなことがこう何度もあるとさすがに自分の不甲斐なさに落ち込み、同居人にその旨をLINE。「自分が店員でもその状況では話しかけられないよ」と返ってきたので、「でも○○さんはサインもらったらしい」と送る。人と比べる悪い癖が出ている。すると、「そこで話しかけられないような人の方が好きだけど」と返信。その言葉でハッとして、ああそうだった、と思う。

私がこういう状況のときなかなか意中の人に話しかけられないのは人見知りということもあるが、一番には羞恥がある。ある程度有名な人に対してあなたのことが好きだ、あるいはとても気になっていると恥ずかしげもなく直接伝えられてしまう人に対して辟易する気持ち。

その根底には、まだ何者でもない自分への恐怖感がある。何者でもない自分に話しかけられたところで相手は相槌を打つことくらいしかできないだろうし、困ってしまうだろう。そんな状態の相手と話を膨らませることができるほど自分はコミュニケーションが上手な人間ではない。話しかけることができる人はそもそもコミュニケーション能力が一定以上ある人なのだろうが、何者でもないのによくもそんなにガツガツいけるな、といつも意地悪く思ってしまう。客観的に見て自分がそういう人になりたくないがためにいつも直前で踏みとどまってしまい、声をかけられず後悔する。その繰り返しだ。

それがどんなに意味がないことかわかってはいるが、未だに着地点は見つけられず。どう思われてもいいから積極的に話しかけていきたいとも思えないし、別に無理をすることはないだろうと割り切ることもできない。